2010年5月31日月曜日

焼尻島

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なかなか再訪することのできなかった焼尻へ行くことができた。

5月8(土)JAL503便にて羽田より札幌に向かう
席は14c、窓から2列目である。
カメラのレンズを望遠に取り替えて山を撮りはじめたら、窓側に座っていたご婦人が席を替わってくれた。




尾瀬
左は至仏山、右は燧ケ岳、その間に尾瀬ヶ原、尾瀬沼(白い雪原)












鳥海山?









千歳は曇り、中央にあるのは風不死岳
恵庭も樽前も山頂は雲の中








札幌は雨が降っている。
植物園に行くつもりであったが、北大に行くことにした。
さきに来たのはもう18年前の冬になる。
雪のない構内は30年ぶりである。





百年記念館付近よりの中央ローン
柳がまだ芽吹いたばかりである。







桜と古河講堂








旧理学部付近のエルムの木立、
いくぶんか木が減っている。
以前は道路の上に張り出していたたくさんの枝がまったくない。
ほかにも印象が以前とはずいぶん変わっている。
なぜなのかしばらく考えてから気づいた。
エルムの幹が白っぽくなっている。昔はうんと黒かった。
内地で見たエルムは幹が白くて別の木かとおもったことがある。
石炭を焚かなくなってから40年近くのあいだに、幹について
                   いたススが洗い流されたのだろうか。

北大総合博物館 (旧理学部)
一見の価値があるから是非行ってみるべきだと、S氏がすすめて
いたのでやってきた。






正面入り口
1929年の建築である。






外装のスクラッチタイル
昭和初期に建てられたおおくの官庁、大学に使われた。
早稲田の大隈講堂(1927年竣工)にも使われている。





階段ホール
アーチ構造の天井、丸窓など、意匠をこらしている。










博物館の見学に時間がかかり、街に出てゆっくり食事を取れない。
ひさしぶりに来たクラーク食堂。メニューは昔と変われど雰囲気はあまり変わっていない。








トレーはアルミからプラスチックに変わっていた。







床のタイルも昔のままでなつかしい。








札幌駅 北口より北方面
学生時代には駅より北には三階建て以上の建物はほとんどなかった。
画面中央のガラス張りのビルの前にあたる所を馬橇(馬車ではない)が行くのを見たことがあった。札幌オリンピックの2年ほど前のことである。







札幌駅 正面南口








駅前のライラックのつぼみはまだ固い。












札幌駅バスターミナルの特急はぼろ号








留萌からは羽幌線跡に沿って海岸を北上する。
レールも鉄橋も取りはずされ、築堤と橋台
だけがかつて鉄道があったことをものがたる。














花田家番屋








谷間に広がる耕地

















風車群

















島が見えてきた









5月9日(日)
昨夜は羽幌に泊まった。8時30分羽幌発のフェリーで焼尻へ。

羽幌市街は廃屋と空き地が目立つ。




小さな町だが旅館がいっぱいある。








右の建物は蔵造り風だが窓が上げ下げ窓になっている。
だいたいからして蔵にしては窓が多い。














朝の国道沿い







羽幌漁港








フェリー待合室          








ちゃんと火がついている。
気温は10度以下である。
























高速船 シーズンオフのため運行休止中









これから乗り込むおろろん2  489総トン、定員300名








































定刻8時30分出港、本日の乗客は10名くらい
以前に来たときは船は苫前港から出ていた。




































羽幌港内より天売・焼尻両島








遠ざかり行く本島


















2等船室この一層下にも2等船室がある、そちらには窓がない。

















海はいたって穏やかで支え無しで立っていることができる。
陸奥湾内をすすむ青函連絡船のようである。
焼尻までは一時間で着く。

やって来ました、41年ぶり
























島の中心部、東浜市街。41年前にはこの風景の中にパチンコ屋があったような記憶がある。








駐在さんがお出 迎え       








焼尻を後に天売へ向かうおろろん2









12日まで島に滞在する
島の外周をめぐって
放牧地と白浜野営地







ラナルド・マクドナルド上陸記念碑

鎖国の時代にはっきりと来日の意図を持ってこの島に上陸した人がいたとは、今回の焼尻行の計画を立てるまで知らなかった。












島の西端、鷹ノ巣園地から見た天売島








鷹ノ巣園地付近でであった巡回中の消防車







島の北岸にある二つの集落(豊崎、西浦)のひとつ西浦集落を西側から望む







西浦風景
         

北側に防風塀をもうけた家








島北岸には商店が2軒






画面中央バイクの前が商店その2








甘エビ漁用のエビかご
羽幌、焼尻では甘エビ漁が盛んである。








廃屋の取り壊し作業








保育所?跡           








その隣地に咲いていたヒマラヤユキノシタ







廃屋









人も車もめったに通らない。
島の一周をしている間に出会ったのは
消防車1台、ミニパトカー1台、原付1台、自転車1台、歩行者1人。






西浦集落の南の台地上にある墓地と斎場
墓地には各宗派の墓地が混在する。




           
廃寺    








日蓮宗本澄寺








豊崎 海岸風景
オオイタドリの枯れ茎とエゾニュウ























島はかつてニシンの千石場所であった。















焼尻高校 その節はお世話になりました                     
















かつて泊めてもらった体育館







島でただ一つの信号機は焼尻小中学校の前にある。
妻のふるさとは今は合併で市になってしまった山の中の小さな村である。その村にも村内一つだけの信号機が小中学校の前にある。














火力発電所  
24時間運転、天売島にも海底電線で送電している。








北岸にある二つの集落のうち東のほうにある豊崎の集落を東側から望む








島は火山岩からなる台地である








島の東端より利尻
4日間の滞在中のうち1日だけ見ることができた。







東浜集落まで来た                            
畑は自給用である、じゃがいも・インゲンなどをこれから作付ける。








倉のような















島にはラッパ水仙が多い。







白いのも少しある。







消防分遣所、消防団







厳島神社への坂道、昔このあたりに銭湯があったというゆえに一名銭湯坂













厳島神社
















御影石の鳥居は汚れやコケ・地衣類の付着が全くない。
細かい凹凸か著しいが切り出したばかりのような肌目である。














やっとクロッカスが咲き出した。








高齢者支援センター      







診療所 医師が常駐する。







沖合いに停泊する巡視船「ちとせ」と巡視艇









島の東部にある「原生林」を歩く

イチイはもとより多いが大木はない。


















































エゾエンゴサク
















 

































 




                 

  














2個体だけ見た白花品







エゾイチゲ

























ミズバショウ
































ザゼンソウ
















トドマツ













エゾマツ        グイマツ芽吹き          












ナニワズ








イチイとミズナラ          








イチイとホオノキ








         
ツルアリドオシ  






最北のヤブコウジ







                      
フキの花   


                                                                                            
イチヤクソウ 







ツルリンドウ







スゲ




















エゾワサビ、ヤマドリゼンマイ、スゲ









エゾワサビ
























トイレ 
簡易式水洗、清掃がいき届いている。







原生林入り口にある会津藩士の墓  文化五年戊辰 の銘あり









山菜
コゴミ 島の人は食べない























ワサビ
                
















エゾニュウ  

ニシン漁が盛んであったころは採取・貯蔵して漁期の食料としたとのことである。







ツリガネニンジン  
いろいろなところに生えている。
湿地にスゲとともに






乾燥ぎみのなかば裸地状のところにハマナスとともに















道ばたにも、これも島では食べない








ギョウジャニンニク
















エゾネギ(チャイブ、チャービル)
島の人はこれを食べないという。
海岸の斜面や台地上に無尽蔵に生えている。

何を食べ、何を食べないのかというのは一つの文化なのだろう。食べられるのと食べるというのは別の次元の問題である。


 







                                   

名にはネギとはいっているが辛さ、においはいたって少なく、生でもじゅうぶんに食べられる。気候・地味があっているのか太さも適度で固すぎず、やわらかすぎず
なんともうまい。













ヨブスマソウ
島の人は食べない。
茎は親指ほどの太さで、アクすくなく、やわらかく、塩蔵やアク抜きの手間なしでも食べられそうだ。







焼尻郷土館









1900年の建造
屋根は英国から輸入の亜鉛鋼板葺き
外壁はイギリス下見板張り
二階の窓は上げ下げ窓














資料館の方にうかがったところ宗派は浄土真宗であるとのこと。
よく見れば仏壇のある部屋は床が一段高くなっている。







漆器類
九谷焼はよく見るが漆器の除隊記念ははじめて見た。













      


木地が透けて見える、下地を施していないようだ。






           
沈金 輪島塗か? 







      
茶托 銀製?







貯米器
一基にはどれくらいの米が入るのだろうか。








向きが反対だが、
見やすいようにつけかえたものか。














木製の流し








郵便局でもあり、電報・電話も取り扱った。








二階の窓からは港が見える。











白浜海岸


エゾカンゾウ
  









                                                        
            
エゾタンポポ







海岸のがけ沿いにセリが多い








エゾイヌナズナ















マイヅルソウ
ハマナスとともに 







つぼみ







海辺のマイヅルソウ、内地の者にとってはめずらしい光景だ。







                
エゾオオバコ 







ハマオトコヨモギ   







 ラッパ水仙







      
少しだけある砂浜








台地の上から幾条もの流れが海に流れこむ







海岸に露出する岩盤















磯浜が多い
















着物が多く、歩きにくい。
ガラスの 破片などもあって気を使う。
















アザラシ
100mほど沖合いの岩礁に90頭あまりが2群に分かれている。ときおりほえる声が聞こえてくる。
ほとんどの個体はじっとしている。

  






                                                                




羊牧場
サフォーク種
宿では塩・コショウだけで焼いたものを出してくれたが、だまって出されれば羊肉とは見当もつかないような味である。







臆病でカメラを向けるとすぐ逃げられてしまう





           

広い放牧地でたっぷりの草を食べる 















横長瞳のヤギ









島での出会い

郷土館に来合わせた Qさんに若布拾いに同行させてもらった
波打ち 際でカギ棒をつかって流れてきた若布をひっかける







1年有 効の鑑札が千円。誰でも買える。
これがあれば天然若布を拾いほうだい。
生えているものを採ってはいけない。
きょう拾った若布は本 島にいる娘に送るという。

宿の食事ではゆでたものがサラダとなって出てきた。肉が厚く柔らかく養殖若布とはまったく異なる味わいである。      


「昔パチンコ屋 がありましたね」とQさんに尋ねると「それはうちでやっていたんです」と答えてくれた。

Qさんのお宅の庭で、ラベンダーと一緒に クロユリが植えられていた。
「島外から帰ってくると、やはり島がいちばんいいと思います。二階の窓から海を眺めているとなんともいい気持ちになる んです」
飛行機の爆音も自動車の排ガスのにおいもここにはない。


カフェアトリエ








看板のたぐいはない。
玄関の小窓の内側に小さくOPENの札がかかっている。

これは喫茶店などではない。客はあるじ の居間でもてなされる。
カレーは自家製である、業務用の缶詰などではない。
紅茶は客の好みを聞いたうえで、あるじが葉を調合する。
熱 く、濃く、渋いお茶が大ぶりのポットで出されてきた。
砂糖は手吹きのグラスに盛られている。テーブルや椅子をはじめとして、皿、ポット、カップ、ス プーンの一点一点をあるじは長い年月の中で選び、手に入れてきたのだ。
                    
しかしそんなことを気にする必要はない。部屋にまねき入れられ椅子に腰をおろせば、長年住みなれたわが家の居間にいるかのような気分になってしまう。
                   
書棚に道新選書の「神田日勝」(*)があった。
三十年も以前に道立美術館に展示してあった日勝の「室内風景」にであい、三十分あまりもその前に立ちつくしてしまったことがある。
あるじにそれを話すと「わたしは道立美術館でその絵にであったために東京へ帰るその日の飛行機に乗れなくなってなってしまいました」と返された。
しばらくのときのあいだ、日勝についての思いを語りあうことになった。
この部屋には島とはちがう空気がながれている。 


    (*)十勝鹿追で農業にいそしみながら制作した画家(1937-1970)